FLAT1-22

FLAT1-22動向

M先生は今も心配している?

自分があの世に召されるまで消えることのない記憶。誰にでもひとつ、ふたつ、在ると思う。夢の中で或るスイッチが入ると、それは朧げな小映画のようにスタートする。

「ベートーベンの後期三大ソナタ?十年早いよ!君には」
先生はそう言ってクスクスと笑った。

暗い畝裏。
斜め上から眺める自分はまるでドローンに乗っているようでもある。
左手向こうには大きな川が流れているのが分かるが、今ひとつ実態が掴めない。
堤防の内側には無数の平屋が規則正しく立ち並んでいるが、そこに人間的な営みは感じられない。
とにかく暗く、空気が淀んでおり目を凝らしても実像を捉えることが出来ない。
トボトボを道を歩いて行くと、しかしその平屋の一見にボンヤリとオレンジ色の灯りが灯っているのが見えて来る。
自分がそこに向って行くことが必然であり、予め決められたことのようでもある。

随分古いタイプの玄関ではある。
ガラガラと横に移動するタイプの木枠は、昔実家が平屋だった頃を思い出させる。
躊躇なくドアをあけると、薄暗い廊下の奥からM先生が歩いて来る。
ふと自分が鞄を持っており、その中に楽譜が入っていることを確信する。
楽譜はおそらく譜面の感じからバッハであろうと、もう一人の自分が判断している気配がする。20ページにも及ぶパルティータが音大期末テストの課題だった。
先生は「やあ、、!どうだ調子は?」とあの懐かしい口調で声をかけてくる。
応えられないでいると「さあっ、さらおう、今日はどこから?」などと聞いて来る。
もう一人の自分が「今はもうクラシックは弾かないのです。クラシックピアノは僕の中では、、僕の中では、、僕の中では、、」とフィードバックが鬱陶しく続いて行く。
しかし、先生に対面する僕は、全く応えられない。
何か言葉を発しようとするが、先生の姿を見ていると何も言えなくなる。
ふと気が付くと、僕はやはり斜め上から川(のようなもの)の流れを見ている。
そして立ち並ぶ平屋の黒々とした影の中に、ポツンと一点オレンジ色の灯りが見えるのだった。

これは数年に一度ほど見る夢の内容です。不思議なのですが、細かいデティールは違うのですが、大体はこんな内容です。
登場人物は僕以外ではただ一人。M先生ということになります。
先生は恩師です。僕が音大3年生の時にお亡くなりになりました。
僕にとって、あまりに分不相応で立派な方でしたが、夢の中でも立派なのには呆れます。今もこころで先生の声がする。それは大体、自分が少しヤバい時。「慌てなさんな!」「空気がないと生きられないのだろう?もっと呼吸しろよ!」「何だよ、ハイドンの腐ったようなピアノ弾きやがって、、笑」そんなところです。
嫁にこの夢のことを伝えると「心配しているんだよ」と。
何故か涙を堪えることが出来ない自分でした。

*ベートーベン「後期三大ソナタ」:第30番、31番、32番をまとめてこのように呼ぶことがあります。もはやソナタ形式には捕われない自由な発想で作曲されており、ベートーベンの行き着いた先がこのような世界であったことに心打たれます。既に古典音楽の域を出て、自己の回想や思索、イメージ表現まで幅を広げて止まらない。ピアノの歴史上、頂点に類する作品群であることは確かでしょう。自分にとってベートーベンとピアノソナタはもう一人の父親、そして神様、お守りのような存在です。