あるピアニストの呟き - カワサキタカヲ3動向 -

ピアノトリオ「TAKA3」の関連記事を中心に音楽雑記帳としております。

バスを待つ少年-1969

10歳。小学校4年生。
"バス"
「小山のように大きな、僕の友達」

10歳と言えば、4歳に発症した小児喘息がようやく終焉に向かった1年ということになる。
あれから40年以上経った今でも、その呼吸の重苦しさが心に刻まれている。
父が職員アパートに引越したのは家族にとって幸福なことではあった。
しかし、子供二人が喘息になってしまった(妹の喘息は比較的軽度だったが)のは本人達は無論のこと、父母にとっては更に痛かったに違いない。
東北の企業都市と言われたこの町。海岸に沿う地区から始まる大きな面積を新日鉄の工場群が覆っている。

林のように乱立する煙突から吐き出される、白色、灰色、そしてオレンジ色の煤煙。僕は長い間、喘息の原因が公害にあると思い込んでいた。が、そうではない。
職員アパートの建装材にやられたのだ。
実家では既にそういう結論に落ち着いているし、正しい着地点と言える。高度経済成長の真っ只中、今では考えられないような素材が使われていた可能性だってあるかも知れない。数々の検査からハウスダストによるものと病院から伝えられたが、住居内に要因があるところはともかく当時の医学の限界から少々方向を間違えていたのではないか?と考えられる。
さて、遅いタイミングではあったが製鉄所病院は(小児喘息のための)クリニックを小児科内に設置することになる。この町が当時「公害指定都市」に指定されていたことを気にしたのかも知れないし、社員の家族や組合からの突き上げがあったのかも知れない。数年間苦しみ抜いた挙げ句、9歳の夏1ヶ月間の入院生活を送った僕などは格好の実験材料であり1週間に1回というタイトな日程で病院通いすることとなった。この市民の呼称である「製鉄所病院」まではバス通いであり、そこそこな距離を耐えなけれなならなかった。退屈極まりない移動時間の心の支えは自然「バス」ということになるのである。そもそも乗り物が好きだったので、そのバスという巨大な移動物体にのめり込むのは必然でした。

まず、バスの形状が大切なこととなる。この当時の町のバス会社は1社のみ、IKBとマークの入った「岩手県南バス」だったが、台数不足なのか資金不足が理由なのか、様々なメーカと中古で引き取った個体もあったように思う。サイズも車体のデザインもバラバラで、それが何とも楽しかったのである。車体は白を下地として赤のストライプ、全面グリルは両側ヘッドライト周りを円で囲むように赤で塗られ、その赤い部分がストライプとして後ろ側に続いていく。なかなかオシャレなデザインだと今でも思う。このカラーリングから来る全体のイメージがお気に入りの要素のひとつ。

次は何と言っても運転席、ダッシュボードの肝!「スピードメータ」となる。このメータと運転手さんの挙動との正確無比なる連動の世界。そこに子供ながら同期(シンクロ)というものの魅力を感じていたに違いない。当時のメータは精度に怪しいところがあり、細長い葉っぱのような可愛いデザインの針が加速していく20km、30kmでユラユラと落ち着かなかったのを覚えているが、僕としてはそのタイムラグまた魅力に感じていたのである。運転手が二度クラッチを踏みつける「ダブルクラッチ」、そこで絶妙な間を持ってギアを入れる、そんな時この針は「あの、、僕、、どこを指したら良いの?」とばかりに揺れ動く。自分にとって、にとってこれほど面白い世界はなかった。

次にバスの窓ガラスの切り方、そのデザイン性である(きりない、、!)この運転席脇の窓ガラスがオシャレに少し「くの字」型に角度を付けてあるバスが、位が高いのである。バスの世界にカースト制度?を取り入れていたのである。まっすぐ直角に枠切りしたタイプが多い中で、この「くの字」に切っているバスは、リア窓もまた特徴があり、それは大きく二つに(柔らかなラウンドを描く)区切った窓ということになる。これはネットで調べると昭和30年代初期辺りでは、各地ローカルなところでよく見かける形状である。この2、3つに区切られている窓はその四隅が柔らかな角度にラウンドを設けてありそれがまた今は無い温かなイメージを感じさせるところだ。そして新しくなってくると、おそらく強度が得られるようになったのかガラス1枚で通したものが殆どとなる。現在その辺を走っているバスもそのタイプ。このオタクな少年がバスから気持ちを遠ざける「ピアノ」と出会うのはそれから数ヶ月後のこととなる。

医師が慎重に免疫注射に入れる薬剤の量を決定する。それは確実に、微々たるものになりつつある。喘息日誌に母が毎日記入した項目(胸から音がしていないか、肩で息をしていないか、熱はないか等多岐にわたる)を精査し、そこから医師なりの見立てにつなげていく。「次から二週間に一度で良いかな、、今日は吸入も要らないね」そう言われると自分が健康を取り戻して行くのが感じられて嬉しかったものだ。
病院の前には停留所がある。そこでバスを待ちながら、妹のために買ったアップライトピアノをピアノを自分も弾いてみたいこと、体育の授業で走り幅跳び3m30cm飛んで「陸上記録会に出ようか?」先生に言われたこと。クリスマスの飾りつけが気になること、雪が降ったら父にスキーに連れて行ってもらうこと、、自分の小さな未来を信じて疑わなかった少年が喘息日誌片手に思い巡らせておりました。

帰省するとこのバス停の前を通ります。当時の人口の半分にも満たない錆びれた街。車の窓から眺める停留所は待つ人もないのですが、そこに10歳の自分がバスを待っている姿が見える気がします。