あるピアニストの呟き - カワサキタカヲ3動向 -

ピアノトリオ「TAKA3」の関連記事を中心に音楽雑記帳としております。

トランス脂肪酸?/ホームベーカリーなのだ!

楽家はまず健康であるべし?

音楽やっている連中ってのは意外に大時代的な方が多いのである。芸術関係の中では最も旧態依然なところがあるかも知れない。上手な演奏家に限ってタバコを吸ったりするし、ライブハウスもようやく禁煙を意識し始めたところがボチボチというところだ。9年前の知恵袋にヴォーカルの方がバンド連中のタバコが気になるという悩みが出ていたが、それに対するコメントが凄かった。
喫煙者でも4オクターブも音域を持つロックシンガーのことを持ち出して「根性なし!」と言うものや「そんな神経質なことでは厳しい音楽の世界は渡って行けない」という意見。そういう類いが散見されたのだ。9年前ということを割り引いても「何それ?」という恥ずかしいコメント。驚いてしまう。しかし未だ音楽の世界というのは、こういうスポ根みたいな鬱陶しいところがあって、呼吸器系の弱い僕などは、ライブハウスで呼吸困難になり咳をしながらピアノを弾いたことなど何度もある。音楽は手足が動く以上は死ぬ直前までやるものだと思う。健康関係で言えば近年、最も意識に入っていたのがトランス脂肪酸、つまりはショートニング、マーガリンの類いなのであります。某コンビニは低減に取り組んでいます、、と謳っておりますが今頃になってか、と思います。やらないよりは良いのですが「低減」と中途半端にやるのならいっそ使用を止めました、とやって欲しい。欧米では随分前に使用禁止となっている。

僕がこのショートニングに興味を持ったキッカケというのが、7年ほど前に訪ねて来た息子の友人のお土産(カステラ生地のお菓子だったと記憶するけれど)になります。
その菓子箱には食材に関する職人さんのお考えがショートニングを通して語られておりました。
人の口に入るものに対する考え方、食に携わる者の責任。そういう形で書かれていたようでしたが、これが意外なほど心に刻まれていたのでした。それからというもの、スーバーやコンビニで買うパン袋の裏側、原材料名を必ず確認するようになり、ショートニングやマーガリンの入らないパンを見つけることが至難の業であることが分かりました。プラスチックの分子構造にも似たこの物質は、ゴキブリでさえ避けて通るとさえ言われています。例えばベーグルや蒸しパンであれば、何とかOKか?という感じでしょうか。そういうことであまりにパンを拒絶するようになったところで、嫁にそれを打ち明けると、調度ポイントが溜まっていたのでそれでホームベーカリーを買うか、という話にとなりました。彼女は自宅でパンを造ってみたかっただけであり、僕のような面倒な考えは一切ないです。元々、ショートニング入りのクッキーやパンは何の躊躇もなくぱくぱく食べております。つまりホームベーカリーが欲しかった理由は全く異なるわけです(笑)しかし、あれから我が家は食パンですら買いません。パンはいつもホームベーカリーで造ったものです。このパナソニックのホームベーカリーはパンドミや普通の食パン、レーズンパン、フランスパンと色々な種類を焼けて楽しいです。特に焼き立てを食べると美味しい。また焼き上がった時の香りがまた素晴らしい。高温になっておりますから取り出しには注意ですが、パン切りでサクサクと切って行くのは何とも言われない幸福な気持ちになります。
まあ、これを使ってスーパーのパンを食べないから、、良い音楽が出来るというものでもない(笑)、また、無添加の手作りだから長生き出来るか?と言われれば大袈裟な違いなどないと思います。
しかし、年齢を重ね身体に対するリスクは出来ることから回避して行きたい。
止まらない咳をバックに、作曲作業なんて冗談じゃない。
ということで、健康と自然な美味しさは音楽生活の大きな要素となります。

是非お試しあれ!!

10歳から始めた割には、うーん?ピアノの腕前

ソナチネが弾けたら、アプローチする作品を広げるべき?

ピアノを始めたのは小4。妹がピアノを既に習っておりヤマハ・アップライトを買ったのがキッカケ。クレーンで吊り下げられたピアノがベランダに近づいてくる景色が心に刻まれている。こんなデカイ楽器を自分も触ってみたい!と思ったし「どうしてこれほど立派なモノが妹のモノなのだ!?」という疑問で心がオーバーフローしておりました(笑)。オーバーヒートと言ってもいいか?
それに何かと脳の出来具合で比較される妹に対し「もしかしたら音楽なら勝負になるかも」と淡い期待を持ったからでもあります。子供の足で歩いて15分程度、アパート群の外れに在った幼稚園で彼女達はピアノを習っておりました。辿々しくポロポロと聴こえるピアノの音、僕は園庭で遊びながら気になって仕方がなかった。音楽を習ってみるということ。それは僕にとって甘美な夢と言ってもよかったのです。長く続いた重過ぎた小児喘息も奇跡的に快方に向っていたこの時期、少年の純粋過ぎるほどのパワー、その反動は実に大きなものだったに違いない。父も母も、僕が「ピアノを習いたい」と強く訴えたことには驚いたようでしたがすぐに応えてくれました。病弱で気が弱いというベッタリと貼り込まれたレッテルは容易に剥がれることはなかったし、年寄りになった今も身体のどこかに潜んでおります。

さて1年先行していた妹や友人達を2、3ヶ月程度で追い越して行ったわけですが、譜面を軽視するという先々これで苦労することになる大きな間違いをやってしまう。先生のお手本を耳で聴いて覚えてその場で弾いてしまうのです。その行為自体は決して悪くはないと思います。ソルフェージュの観点からすれば自然な形で音感が養われ音ひとつに対しての脳内の動向は周囲とは一線を隔てる個性の萌芽にも接続するものだろうと。しかし、その後の手当が必要だった。先行して感性で受止めたのは良いとして、それを垂れ流しにしたのが良くない。何故にその音と音の連鎖が魅力的に響くものなのか?それを譜面を前にしてゆっくり弾いてみることで、耳から入っていた音に自分の個としての考えが付加されるものだと考えております。まだ考えの足りていない小4の僕には、ピアノを弾くという行為と作曲が表裏一体であると言うことには気付かなかった。ピアノをさらうということは、バイエルでありソナチネであり、、という「ピアノのお稽古」という固定化されたイメージが定着してしまって、ピアノを与えられる以前に既に存在していた原音楽を一旦封印してしまっていたのは残念なところです。僕にとってのピアノは作曲のツール。そして自分の作品を演奏するための翻訳機みたいなものです。つまり作曲というものが目の前にある大きく聳える山であり、そこに共に向う相方がピアノということになるでしょうか。こういうスタンスでピアノをさらいたかった!と思います。であれば、もう少しはまともな音楽人生となったかも?、、と後悔です。今、僕のオンボロスタジオの器材ラックの上にショパンのプレリュード、これはヘンレ版になりますが置いてあります。冒頭の1番のところが開いたままです。時折ここから拾って弾くようにしておりますが、あまりに身近過ぎて自分の中では手垢が付いていたロマン派の巨匠ではあります。本当に今更で恥ずかしいのですが、その「音の使い方」には勉強になるところが山ほどあります。例えば、テンションの使い方、音のぶつけ方はクラシックの長き歴史の中でもピカイチの存在と言えるでしょう。そういったポイント確認し、読み解きながらゆっくりと弾いて行くと心が満たされます。たとえ小学生でも本作から技術的に容易な作品も散見されますから、アプローチしても良いと思います。上手く弾く必要などなくて、その世界観みたいなもの、イメージの強さが体感出来たら充分なのです。「子供は手が小さくて無理ではないか」とおっしゃる方もおられますが、それなら弾ける音だけを弾いて先生がフォローすればいい。そして、先を急がず音を選ぶことによってどういうハーモニーなのか理解出来るはずです。つまりあっさり初見で弾けるより、音楽の理解は弾けない方が有利かも知れない。但し諦めない、投げ出さないことが前提ではあります。やたらと上手いピアニストに限ってどうも面白くない、という場合が多いですが、英才教育により苦労せずに弾けるから音楽以外の思考がそこに入らない。思考を入れる前に弾けてしまうから。音楽はピアノだけではないのですが、音楽以外のことが大切と思います。音楽以外のことが在るから音楽で表現しようということになっているわけですから。
ショパンエチュードでは洒落にならないくらいに難しい。しかし、比較的平易な作品も転がっているショパン・プレリュードにはちびっ子達にも注目して欲しいものです。

夕暮れ時の相方イヤホン・SE112

夕暮れ時。ウォーキングの時間である。頑固に減らない体重と戦い続けるための必須プログラム。しかもいくら歩いてもお金がかからない。ここで欠かせないのがBGMである。この時刻に嫌らしいほどに寄り添う音楽といえばECMのギタートリオ、ヤコブ・ブロトリオ辺りではないかと思うけれど。先頃3年ほど使用したAKGの音質が急速に損なわれて酷く隠るようになってしまった。息子が小遣いを貯めて新規購入したゼンハイザーと比較すると(生意気な奴!)同じイヤホンか!!と感じるレベルである。安物のオーディオテクニカの方が遥かにマシ。

イヤホン。たかが、されど、、のイヤホンである。
そこで急遽購入したのがSHURE/SE112。貧乏人故エントリーモデルなのであります。使い始めて2週間ほどでしょうか。レビューしてみます。まず僕がモニター用のヘッドホン、iPod使用のイヤホンを選択する場合の条件として、メーカをマイクメーカから選択するということになります。マイクを製造するメーカというのは意外に多いのですが、中でもゼンハイザーAKGSHUREということになりますか。AKGはヘッドホンで同じモデルを2台続けて使いましたが、当時のオーストリアモデルは丈夫で素晴らしい仕事をしてくれました。今でもそのイメージは若干ではありますが残っております。しかし昨今の中国生産に切り替えてからは、その造作に疑問の声が上がっているところがあり、肝心の音質も疑問視する向きもあります。実際、最近までAKGのイヤホンを使用しておりましたが、音質は良かったのですが筐体の造りに問題があるのか歩いていると振動が伝わり音楽を阻害するところがありました。座って聴く分には問題がないのですが、イヤホン本来の目的からすると気になるところです。また3年程度で酷く音が隠るようになり、おそらくは誰が聴いてもコレ変じゃない?と感じるであろうレベルだったと思います。そこで少し慌て加減で本機に買い替えしたところです。まず本機の位置付としてはエントリーモデルとなります。前回のAKGと比較するとボディサイズが圧倒的に大きいです。これは気になる人もいるかも知れない。またコードが太く、ゴワ付いておりますが、この辺は強度との引き換えと捉えて気にしないようにしております。そういうことで使い勝手というところでは慣れが必要かも知れません。全体から受ける印象は無骨でしっかりした造りである、、というところで、これは誰もが感じるところであり本機の分かりやすい特長でしょう。おそらくはこれまで使用したイヤホンの最長使用年数を更新する可能性があります。因に今まで最も好印象だったイヤホンは意外にも秋葉原の某中古Mac店(ご存知の方多数であろうS店です。)でオマケに付けてくれたオーディオテクニカのモノでした。さて肝心の音質です。最初に自分の音楽制作の数点を出勤途中の電車内で聴いてみました。いつもは降車寸前までスマホを視ている僕ですが、全くそれはなし。久しぶりに楽しく音楽に集中出来ましたが、驚きなのは自宅の音楽制作と同じイメージの音が作られていることです。自宅・成増山スタジオでは、MOTUのIFに直挿しでオーディオテクニカのモニターヘッドホンM40xを使用しておりますが、この原音再生は素晴らしいところがあります。その音とほぼ変らない質感、奥行き感、少し大袈裟に言えば音の世界が差し出される感じでしょうか。音質そのものに際立った特長はないように思います。やたらとハイが澄んでいるとか、低域の音圧が凄いとか、、そういう作為性は無いです。なのでこの器材に物足りなさを感じるユーザさんはいると思います。しかし、オーディオ機器はイヤホンに限らず、ソースをそのまま何の改変もせずに耳に届けて欲しい、というのが僕の昔からの考え方です。そういったことから音のバランス、定位というところは大切なポイントです。マイクメーカはそういうポイントを長年の蓄積からよく知っておられます。本機は金額的には安価と言えますが、それでも妥協は感じられない。適正としてはバンド音楽かな?と思います。ドラムのキックやベースに少しタイトで引き締まった感じがあるので、気持よく聴くことが出来ると思います。ジャズ、ロック向きですね。これがクラシックのフルオケから小、中規模の室内楽となるともう少し上位機種が欲しくなるかも知れませんが、僕は本機を末永く使いたいと思います。ハイセンスなイヤホンが多い昨今ではむしろ目立つ野暮ったさが頼もしいです。

こういう母親って!- ゲルニカ・改造への躍動

激務を終え帰宅すると何やら音楽が聴こえる。
リビングに入ると、嫁と息子がCDを聴きながら全然違うことをしている。
嫁はパソコンでネットを見ているし、息子はドラムの練習。パッドをテケテケ叩き続けている。
それで流れているのは、ジャコのバースデーコンサート(笑)
時折、息子が「凄い上手、ドラム誰?」とか呟いている。
僕が「ピーター・アースキンって人だよ。貸したステップス・パラドックスのドラムと一緒」と教えてあげる。

嫁が「マイケル・ブレッカーもそりゃイイが、私はボブ・ミンツァーの方が好き」とこの流れになると必ず出て来るお言葉。
聴き終わると、嫁が「次はどれにするかな、、!おおっ、お前コレをきくのじゃ!!」と取り出したのがゲルニカ(笑)

▲改造への躍動 ジャケに描かれるのは戸川純と上野耕治、徹底的なイメージ統一とコテコテの近現代クラシックの上にオペラから宝塚調?のヴォーカルが乗っかっている!バンドの形態を考えさせられる一枚。またクラシック音楽を吸収・創出することが如何に力のある音を成立させるか、という分かりやすい例でもある。

「さっきはメセニーのオフランプを聴かせたが、さっぱり分からんかった。駄目だな、コイツは。」と息子を蔑んだように見ている。
「こいつはな、まだ子供なんだ。あのようなサウンドと音楽の良さが分かるのはもう少し先ではないか」と僕。
そして彼女はゲルニカを流す。
我慢出来なくなったらしく一緒に歌い出す。工場見学とか、動力の姫とか、、。やれやれ、晩飯が喉を通らない。
息子「何コレ!?もういいよ。うー、、、」

嫁「最後まで聴きなさい。これを聴いた方が絶対に良いのだから」

そして自分は気持ち良さそうに一緒に歌っている。「しかし戸川純ってのは音程が悪いな」などと間の手をいれながら(笑)

こんな母親を持った息子に同情しますが、同時に自分の嫁がコイツで良かった、と思う瞬間です。
お年寄り達に愛の手を差し伸べる美容師、そしてヴォーカリスト
こういう女性はなかなか他にはいないだろう。ただひとつ願わくばきちんと音楽をやってください。アナタは自分の中の怪物に気付いていない。残念なことではあります。

逆閑話休題・ライブ告知

カワサキタカオトリオ・3月25日ライブ詳細

3月25日(sun)四ッ谷Doppo
ACT
DRM trio
川崎タカヲ3

OPEN/19:00
START/19:30
CHARGE/¥2700(1drink付、税込)

予約・問い合わせはyoyaku@doppodoppo.comまで
サウンドクリークドッポ
〒160-0008東京都新宿区三栄町1-2CSビルB1 tel 03-6380-4245
mail info@doppodoppo.com

今回のドラムはお休みの佐山さんに代わりFLAT122、エレアスで活躍中の田辺清貴さんが演奏します。絶対音感を持つ希なドラマーとして高品質なセンスを繰り出す田辺節?に是非ご期待ください。新曲をプラスして頑張ります♬

※エレアス:日本プログレ界を代表するバイオリンフロントユニット。FLAT122より平田聡と田辺清貴が参加。精力的にライブ、収録を行う。

絶対音感:というタイトルの本も在るが、音楽家の基礎レベルを計る要素のひとつであることは間違いない。音感というところが肝。例えばC#の音がそのままC#であると感じる能力は確かに素晴らしい。しかしだからと言って作曲家として作品力を得ているのか?と言えば全く別問題。本文で語る絶対音感は、漠然と鋭い耳を持っている分かりやすい例として使用しているに過ぎない。なら、そう言えば良いのに!と言われそうだが、ここは絶対音感という言葉を使いたかった筆者の我が儘であり申し訳ないのである(笑)

※田辺節 スタイルを持ったドラマーだったが先週のリハーサルでは更にセンスが磨かれ、元々テクニカルでありながらとこかビートルズのようなセンスが聴かれたのは錯覚だったのか?何しろ私の音楽には欠かせないドラマーであることは分かった。

結晶・白い欠片「NSP」を知ってますか?

結晶と言ったら僕の場合、「雪」の結晶となります。
10歳まで住んでいた地域は意外なほど寒く、また風も強く吹くところでした。
今でも憶えているのは毛糸の手袋に付着した雪の欠片です。
ジッと目を凝らすと、確かに某乳業、例のマークと同じ形が確認出来ます。
その驚きと感動は、数十年経過した今でも鮮やかです。
自分の瞳と悲しくなるほどに真っ白な結晶との角度と距離感。そしてその周りを形成している山々は木々と積もった雪の織り成す天才的なデザイン。

それらは、真空パックされた絵のようなもの。そして、それはふとしたキッカケで記憶のファイルから取り出される。
疲労の沸点に達した時、何を考えるでもなしに深夜家路を急ぐ時、目を閉じ電車に揺られている時。
純粋であることが年を重ねる度に難しくなるのだろうか。
しかし、いろいろな辛い事柄を経てある点に達すると今度は生まれた始点に緩慢な速度で戻って行くのではないだろうか。

そして、その過程において、この雪の結晶を眺めている自分を呼び起こすのかも知れない。例えば、こういうことと少しつながる。
風は現在と過去をつなげている電話みたいなものなのである。

▲本編に合わせた作品と言えば我が郷土岩手の星「NSP」となりましょうか。フォークなど全く縁のない僕ですが、たまに聴いてみるとNSPのピュアな精神に心打たれる。雪の結晶の話題から結びつけたのは当然「さようなら」が入っているこのアルバム。「やけにまっしろな雪がふわふわ」と始まる歌。それだけでイメージが来る。イメージ表現はこうしたフォークソングであっても同じく存在する。違うのは表現手法だけということになるのか。

今日、自分が吹かれた風に何か懐かしい気持ちとなったのは、実はそれが過去のある出来事と共に在ったから。風は過去から吹いて来るのかも知れないと思ってみたりする。
白い欠片を見つめる自分。10歳。まるで他人のようにも思えるが、真実自分なのである。そしてその子どもの自分に今の自分の乱視と老眼と近視でやられた汚れた瞳を重ねて結晶を見つめるのである。

過去の10歳自分が、一瞬胡散臭そうな目で後ろを振り向く。しかし、そこには22センチの運動靴が作った雪上の足跡がボンヤリと確認出来るだけだ。
タイトル「結晶・白い欠片」は、30秒かその辺でFineとなる記録映画であり、自分にとって音にしてみたい素片に間違いない。
こんな時、自分の作曲家魂に火が入るのであるが、それは勝てない戦いと知って挑む浅はかな行為でもある。何故か?真実そこに存在した「あの時の現実」こそが最良の作品に違いないのだから。

雑景1966-01

旧校舎と付け足された新校舎が歪な形を成している。ここは僕が小学校4年生まで通ったK小学校だ。4年生はその新しく追加された棟を使っている。保健室や職員室、また校長室等は正門から向って中央に位置する木造の旧校舎となる。
下校時刻、僕は道路に沿って建つ校舎の2階をジッと見上げている。というか耳を澄ませていると言った方が良いか。
規則正しいマーチングの練習。鼓笛隊に選ばれた精鋭達のバチが太鼓代わりの机上を、子どもらしい遠慮のない様子で打ち鳴らす。

タタタタタンタンタッ|タタタタタンタンタッ|

タタタタタンタン休タ休タ|タタタタタンタンタッ!|

休=休符となる。この場合は八分休符の認識で良かったと思う。
今でも記憶するこのリズム。運動会で使われるためのもの?学芸会のオープニングのためのもの?そこまでの記憶は残っていない。

しかし、自分がどれほどこの鼓笛隊に憧れていたことか、こんな年齢になってもフレーズを憶えている執念深さに笑ってしまう。音楽が根っこから好きであることの小さな証拠でもある。
小4の担任はY先生だ。長身の独身女性で厳しい人だったが、僕はこの人の弾くピアノがそれは好きだった。子ども達が校歌を歌う時は彼女がピアノ伴奏と決まっていたが、イントロくらいなら同じように弾ける。たまに他の先生が弾くとそれはもうガッカリ!ひどいセンスだな、、と残念に感じたものです。
先生の僕に対する口癖は「K君もいつか『エリーゼのために』が弾けるといいね」だった。その滑舌の悪い口調は独特で、たまに今でも前触れもなく脳内に現れることがあります。当時、僕はようやくピアノを習い始めて"バイエルの片手だけ"をやっていた身分でしたから、その言葉は実に遠い世界を感じさせるものでした。

冬になると太平洋側のこの地域でもそこそこ雪が降ります。雪が少しでも積もるとアパートの子ども達は、大体同じ風情の(長靴を輪に通すだけ)スキー板を持って、近所にあるグランドに行きます。ここは新日鉄ラグビー部が使うことでも有名ですが、僕らにとっては普通に遊び場のひとつでした。このグランドを囲む土手が子どもレベルのスキーに調度良かったわけです。入り口付近は土手が途切れており、斜めに滑って来ると途中の段差で更にスリルを味わえるところがポイントでした。あの眩しい雪景色と子ども達の造り上げる世界はワープ出来るなら戻ってみたい場所です。

小4を終えて進級するタイミングで引越となり、この地域とはお別れとなりましたが、帰省時には必ず通る場所です。数年前に列車から見た理髪店には驚きました。記憶にあるイメージ通り、変っていなかったからです。一瞬、本当にタイムスリップしたのか?と思ったくらいです。超速仕事を自慢している厚化粧で少しキレイな女性が、ここの主人公です。お店から帰る時、その襟足が冷たい風に吹かれて「あぁ、そろそろ冬なのかな?」と思う自分でした。昨年、二度帰省した時にはこの理髪店の前にレンタカーを止めて外の空気を吸い込みました。この場所、、お店に向って左手にグランドの土手、この地域を見守るように聳える山々。時間は確かに大きく動いたのに、風景は変らない。その断層の大きさに言葉には出来ないイメージを感じ取りました。彼のモダンホラーの帝王スティーブンキングは「自分がいた過去、その場所に戻っても魔法が起きるわけではない」と作品の中で述べております。が、それには敢えて書かなかった小説家の感じ取った言葉に出来なかった「何か」があったのだと思います。言葉にしてしまうと消え去ってしまうような、言葉にしてしまうと色褪せてしまうような「何か」。

僕にとっては、この地域一帯が音楽の根にあたります。勿論、上京してからの人生の方が圧倒的に長く、また忘れてはならない大切な出来事も数多あります。どうして、そろそろ記憶も薄れかけている6年間に自分が固執するのか?不思議でもあり興味深いところです。
音楽を聴く時の寄り添い方、作曲する時の音の捻り出し方にこの時代に育んだ自分の感性が深く関わっているという気がします。

温かな景色・忘れられない日

丘陵の側面に建てられた寮の門前に停めてあるのは父の白いコロナだ。
東北の片隅を朝6時30分頃に出発して、ようやく到着したところ。トランクには寮で使う布団一式が入っている。時刻は夕暮れには少し間がある15時頃だっただろうか。
素晴らしくよく晴れた僕の記念すべき上京初日。
寮監督(後に寮生達からは略称で「寮監」と呼ばれていたが)に挨拶した父と僕は、練習館を見学するために棟の後ろ側ドアから丘に沿って上る通路を歩いて行く。練習館は一部屋にアップライトを押し込めて、自分が座るとスペースは殆ど無いほどの狭さで、父は「これはまるで独房だな」とブツブツと呆れる。その独房が左右にそれぞれ10部屋程度用意されていただろうか。結局ここで1年間、音大に入るために自問自答することになるのだけれど。
何しろ、僕はすっかり圧倒されてしまい早々に立ち去りたい気持ちで溢れかえっていた。練習館を後にして坂を下りて来ると、途中で同じく見学に来たらしい母親と青年が歩いて来た。父はその母親と立ち話をしていたが、その時どっしりとした体格の彼が寮監督に向って「あの、、練習してもいいですか?」と切り出した。上京して早速微かな敗北感を味わうことになり「こういう積極的な態度って音楽家には必要な要素なのかしら?」と妙に心がざわついた覚えがある。
僕の寮生活は1年だった。
この音楽院に入る直前に受けたソルフェージュのテスト、つまり聴音とか新曲視唱、楽典等の結果はヒジョウに分かりやすく全て一番下位。スピードスケート・高木美帆さんの最初のオリンピックと同じである。その後の面接で聴音の点数「4点」の内容を聞くと「可哀想だったので小節線を書いた点数をあげたよ」と言われたのを憶えている(笑)
そして「この1年一度のグレード分けテストでは君のようなタイプが数人いるんだよね。でもここで1年持ちこたえればS音大くらいには入れるから、、」と伝えられた。もう何が何だか分からない世界。結局このグレード制を採用する最低ライン・Eクラスからスタートした僕は、夏休みで帰省した頃には、しっかりと10円ハゲを作っており(円形脱毛症)田舎の床屋さんを驚かせました。
ピアノ科でEクラスという話は希である。現在のことは知らないけれど、当時ソルフェージュの成績は専攻によってキレイに分かれていた印象です。大変失礼で申し訳ないのだけれど、下に集合しているのが管楽器と声楽の連中だろうか。少し上がって、管楽器でも少しばかり優秀な生徒、そして全体の真ん中レベルにあたるCクラスにピアノ専攻が多く、A/Bという教える側の先生の間違いをバカにするレベルがバイオリンなどの弦楽器専攻と作曲科志望というところだったと思う。ただ作曲に関して何となく分かると思いますけれど、見事にどのクラスにもまんべんなく散らかっており、楽器専攻とは異なるスタンスであることが分かる状況となっておりました。僕がもっとも恥ずかしかったこと。それは自分のピアノがあまりに初歩の段階であり、周囲からピアノが副科だと思われていたことです。副科とは例えばトランペットとか声楽などでもピアノは必須ということで、まあこれで音大を不合格になった!と言う話は僕は聞いたことはありませんが、要はソナチネ簡単なソナタを弾ければOKというレベルです。器用なタイプならこのピアノのレベルは1、2年もレッスンしていれば達すると考えられます。しかし、僕はあまりにピアノが下手でしかも当時さらっていたエチュードチェルニー40番だったところから完全に副科のピアノで、他に専攻があると思われていたのですね(笑)これはヤバかった!!僕が本当はピアノ科であることが認められたのは、おそらく秋から冬にかけてです。自分を担当してくれた先生が素晴らしかった。恐ろしく厳しかったですが、それでも僕の駄目ピアノを最後まで見捨てることはありませんでした。今でも頭が下がったままです。こうして僕の場合、先生運だけは良いのです。そういうことで僕は何が何だか分からないうちに音大ピアノ科に入ったのでした。その後は色々なところで付焼き刃がバレてエライことになりましたが、この18歳の1年間は得難い経験をさせていただいと思っております。それにしても当時の自分が不思議です。根拠のない自信をどうして持ち続けられたのか?
それは、おそらく寮生達が皆音大受験という同じ目的を持って励まし合っていたからだと思います。それは温かく、大らかな世界でした。音楽に邁進するための環境ということでしょうか。
今でも父と寮の玄関に立っているところを思い出します。左脇に名札がぶら下がり、不在時は、ひっくり返すのがルールでした。名前の下に専攻が分かるように例えば、トロンボーンなら「tb」、トランペットなら「tp」そしてピアノなら「p」と表記しております。遠い昔に寮はなくなりましたが、あの上京初日の景色はしっかりと心に刻まれています。

M先生は今も心配しているのか?-ベートーベン・第13番

ベートーベンの後期三大ソナタ?十年早いよ!君には(笑)

暗い畝裏。
斜め上から眺める自分はまるでドローンに乗っているようでもある。
左手向こうには大きな川が流れているのが分かるが、今ひとつ実態が掴めない。
堤防の内側には無数の平屋が規則正しく立ち並んでいるが、そこに人間的な営みは感じられない。
とにかく暗く、空気が淀んでおり目を凝らしても実像を捉えることが出来ない。
トボトボを道を歩いて行くと、しかしその平屋の一見にボンヤリとオレンジ色の灯りが灯っているのが見えて来る。
自分がそこに向って行くことが必然であり、予め決められたことのようでもある。

随分古いタイプの玄関ではある。
ガラガラと横に移動するタイプの木枠は、昔実家が平屋だった頃を思い出させる。
躊躇なくドアをあけると、薄暗い廊下の奥からM先生が歩いて来る。
ふと自分が鞄を持っており、その中に楽譜が入っていることを確信する。
楽譜はおそらく譜面の感じからシューマンであろうと、もう一人の自分が判断している気配がする。
先生は「やあ、、!どうだ調子は?」とあの懐かしい口調で声をかけてくる。
応えられないでいると「さあっ、さらおう、今日はどこから?」などと聞いて来る。
もう一人の自分が「今はもうクラシックは弾かないのです。クラシックピアノは僕の中では、、僕の中では、、僕の中では、、」とフィードバックが鬱陶しく続いて行く。
しかし、先生に対面する僕は、全く応えられない。
何か言葉を発しようとするが、先生の姿を見ていると何も言えなくなる。
ふと気が付くと、僕はやはり斜め上から川(のようなもの)の流れを見ている。
そして立ち並ぶ平屋の黒々とした影の中に、ポツンと一点オレンジ色の灯りが見えるのだった。

これは数年に一度ほど見る夢の内容です。不思議なのですが、細かいデティールは違うのですが、大体はこんな内容です。
登場人物は僕以外ではただ一人。M先生ということになります。
先生は恩師です。僕が音大3年生の時にお亡くなりになりました。
僕には分不相応な立派な方でしたが、夢の中でも立派なのには呆れます(笑)
嫁にこの夢のことを伝えると「心配しているんだよ」と。
何故か涙を堪えることが出来ない自分でした。

*冒頭で紹介しているアルバムはポリーニのベートーベン・ソナタ第13番となります。これは音大1年時の課題曲で調度その学期末の頃、妹が受験で上京して来たのを覚えております。ピアノを四畳半に置いて、狭いスペースに気にもせず寝泊まりしておりました。たまに再会すると、僕が如何にこのベートーベンをさらっていたか、、と懐かしいようです。久しぶりに聴いてみると意外に難しいですね。あの頃のピアノ科としては恥ずかしいテクニックの自分としてはよく弾いたものだと思います。頑張らなかった、、ということはない。今はそういう悲しい方向に考えないように(ようやくですが)なりました。結構頑張っていたのだ、そしてあの結末はやはり仕方なかった。無理があったのだ、、と素直に受止めている昨今の自分です。

バスを待つ少年-1969

10歳。
小学校4年生。
"バス"という乗物が好きだった時代。
10歳と言えば、4歳からの小児喘息がようやく終焉に向かった1年ということになる。
あれから数十年経った今でも、その呼吸の重苦しさが心に刻まれている。
父が出世して職員アパートに引越したのは家族にとって幸福なことではあった。
しかし、子供二人が喘息になってしまった(妹の喘息は比較的軽度だった)のは実に痛かった。
東北の企業都市と言われたこの町。海岸に沿う地区から始まる大きな面積を新日鉄の工場群が覆っている。

林のように乱立する煙突から吐き出される、白色、灰色、そしてオレンジ色の煤煙。僕は長い間、自分の喘息の原因がこれにあったと信じていたが実は違う。
引っ越し先の職員アパートの建装材にやられたのだ。
実家では、すでにそういう結論に落ち着いているが正しい着地点と言える。高度経済成長の真っ只中、今では考えられないような素材が使われていた可能性だってあるかも知れない。数々の検査からハウスダストによるものと病院から伝えられたが、住居内に要因があるところはともかく少々方向を間違えていたのではないか?と思う。
さて、しかし遅いタイミングではあったが製鉄所病院は(小児喘息のための)クリニックを小児科内に設置することになる。この町が当時「公害指定都市」に指定されていたことを気にしたのかも知れない。数年間苦しみ抜いた挙げ句、9歳の夏1ヶ月の入院生活を送った僕などは格好の実験材料であり(笑)1週間に1回というタイトな日程で病院通いすることとなった。父母からすれば藁にもすがるような思いだったのではないか、と想像がつくけれど。この市民の呼称である「製鉄所病院」まではバス通いであり、そこそこな距離を耐えなけれなならなかった。退屈極まりない移動時間の心の支えは自然「バス」ということになるのである。そもそも乗り物が好きだったので、そのバスという巨大な移動物体にのめり込むのは必然でした。

まず、バスの形状が大切なこととなる。この当時の町のバス会社は1社のみ、IKBとマークの入った「岩手県南バス」だったが、様々なメーカから車両を買い入れするようで(中には中古で引き取った個体もあったように思う。)サイズも車体のデザインもバラバラで、それが何とも楽しかったのである。車体は白を下地として赤のストライプ、全面グリルは両側ヘッドライト周りを円で囲むように赤で塗られ、その赤い部分がストライプとして後ろ側に続いていく。なかなかオシャレなデザインだと今でも思う。このカラーリングから来る全体のイメージがお気に入りの要素のひとつ。

次は何と言っても運転席、ダッシュボードのスピードメータとなる。このメータと運転手さんの挙動との正確無比なる連動の世界。そこに子供ながら同期(シンクロ)というものの魅力を感じていたに違いない。当時のメータは精度に怪しいところがあり、細長い葉っぱのような可愛いデザインの針が加速していく20km、30kmでユラユラと落ち着かなかったのを覚えているが、僕としてはその不正確なところもまた魅力に感じていたのである。運転手が二度クラッチを踏みつける「ダブルクラッチ」、そこで絶妙な間を持ってギアを入れる、そんな時この針は「あの、、僕、、どこを指したら良いの?」とばかりに揺れ動く(笑)子供にとってこれほど面白い世界はなかったのでした。

次にバスの窓ガラスの切り方、そのデザイン性である(きりない、、!)この運転席脇の窓ガラスがオシャレに少し「くの字」型に角度を付けてあるバスが、位が高いのである。まっすぐ直角に枠切りしたタイプが多い中で、この「くの字」に切っているバスは、リア窓もまた特徴があり、それは大きく二つに(柔らかなラウンドを描く)区切った窓ということになる。これはネットで調べると昭和30年代初期辺りでは、各地ローカルなところでよく見かける形状である。これが3つに切られているもの、そして新しくなってくると、おそらく強度が得られるようになったのかガラス1枚で通したものが殆どとなる。現在その辺を走っているバスもそのタイプ。そういうことで、このオタクな少年はバスに大まかな位を付けていたのである。頭が暇な少年にありがちなオタクぶりである。

医師が慎重に免疫注射に入れる薬剤の量を決定する。それは微々たるものになりつつある。喘息日誌に母が毎日記入した項目(胸から音がしていないか、肩で息をしていないか、熱はないか等多岐にわたる)を精査し、そこから見立てにつなげていく。「次から二週間に一度で良いかな、、今日は吸入も要らないね」そう言われると自分が健康を取り戻して行くのが感じられて嬉しかったものだ。
病院の前には停留所がある。そこでバスを待ちながら、妹のために買ったアップライトピアノを自分も弾いてみたいこと、体育の授業で走り幅跳び3m30cm飛んで「陸上記録会に出ようか?」先生に言われたこと。クリスマスの飾りつけが気になること、雪が降ったら父にスキーに連れて行ってもらうこと、、自分の小さな未来を信じて疑わなかった少年が喘息日誌片手に思い巡らせておりました。
田舎に帰るとこのバス停の前を通ります。車の窓から眺める停留所は待つ人もないのですが、そこに少年の自分が向かってくるバスを待っている姿が見える気がします。

そして、、こんにちわ!ってことか?

スッキリした。
これまでの記事を全消去。
記事だけを一発で全消去するファンクションを探したのだけれど、見つからず意外に時間を要してしまいました。
右フレームのサイドバーに最初の記事を書いてみましょう、、と在る。
それが新鮮に目に映る。
このブログのタイトルは「あるピアニストの呟き」と付けたのだけれど、気分に任せて、またその時々の都合で適当に書いている?うちに無意識に当初描いていたイメージから遠いところまで来ていることに気が付いたのだ。
振り出しに戻ってみようと思う。
音楽に使用するイメージの洗い出し。
作曲につながる要素の在処は過去に遡る。殆どの作り手は過ぎた時間を手繰り寄せるのではないだろうか?
こうして記録していくことで、その一齣の解像度が上がってより鮮明になる。
彼のホーキング博士によれば「タイムスリップに関して未来への移動と比して過去への移動は難しい」ということになるらしい。

しかし、人間には記憶という素晴らしい装置があるのだ。
そして音楽はその装置から引っ張り出したデータを脳内フィルターにかける。音に変換された過去のイメージには当然バイアスがかかり何やら得たいの知れない音楽というモノに変容して差し出される。
作曲の楽しさはそのプロセスに在るわけで、僕はその元となる素材をこのブログで洗い出して行こうと思う。

もっとも遠い景色は、母の背中で聴いた童謡だが、それは何と仄暗く独特な温かさを携えていることだろう。
こうした小さな記録映画のような素片を拾い集めて整理して行こうと思います。