FLAT1-22

FLAT1-22動向

再・ライブ告知・3/30(sat) 四ッ谷Doppo

やれやれ。。バンドというのは紆余曲折を経てスケールアップするのでしょうか。大変なことです。世に数多おりますリーダーさんの心中察するに余りあります。という自分をこのリーダー端くれ(にも入らないか)ですが。一体何のことやら、、という前口上ではあります。
さて、ここでお詫びがございます。今回のライブには平田聡さん(g)のゲストを予定しておりましたが、事情により取りやめとなりました。残念ではありますが、少々仕方のないところもありまして、マリンバ押出しを強めたいと考えております。一昨日夜のリハーサルでは、四苦八苦して反復練習の鬼と化したFLATですが、これはこのユニット伝統のようなものですので、大した事はないです。24日の長いリハーサルを経て、本番を迎えたいと思います。引き続き、よろしくお願いいたします♬

 

OPEN 18:30 START 19:00
CHARGE ¥2500+1drink¥600
予約・問い合わせはyoyaku@doppodoppo.comまで

FLAT1-22
Key.川崎隆男 Ba.中島洋隆、Dr.田辺清貴、Mrb.三浦咲
烏頭
Key.大和田千弘 Dr.佐山智英 Gt.山田裕司

四ッ谷Doppo
四谷SOUND CREEK Doppo
〒160-0003 東京都 新宿区三栄町1-2 CSビルB1

鍵盤担当はFM音源を考えてみました「reface DX」

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その昔、DX7の改良版であるDX7Ⅱを所有しておりましたが、どう考えても使いこなせた、、という実感はなかったように思います。当時のキーボディスト達も、おそらく似たようなものだったでしょう。「生福」といわれる、カートリッジ式の別売音色を使う場合も多かったと思います。因に"福"は福田さんですね。音大時代、池袋のヤマハでバイトをしておりましたが、店内特設ステージで演奏していたのを憶えております。とても面白く、オリジナリティ溢れる内容でありました。シンセの人というイメージですが、実はピアノが凄い。当時、僕も憧れていたシーケンサーの入ったYAMAHA/CS30を使用しておりました。さて、脱線しつづけておりますが、このDX7というとこの改良型よりも初期型が取り上げられることが多いのですが、どうしてなのかしら?デザイン的なところもあるだろうし、もしかすると持っている音の質感が違うのかも知れない。
さて、このFM音源を自分のバンドに取り入れたいというのは兼ねてから燻っていたわけですが、このFLAT1-22というマリンバを押出す新しいユニットにとって、どうしても現代的な色合いが欲しかったという理由が在ります。現代的と言っても若干漠然として分かり難い表現ですが、実はあまり敷居の高いものでもないのです。
僕にとって現代音楽は、ジャズやロックと同列にあるものであり特別なものではない。例えばECMのキースジャレットや、新しいタイプのギタリスト達、例えば「ヤコブ・ブロ」地位を確立して久しい「ビル・フリゼール」等は、頭でっかちでどうしようもない(失礼)現代音楽作曲家の作品などより遥かに現代音楽の中心に置いて差し支えないとさえ思います。現代音楽という言葉の響きは僕にとって気持ちの良い微風のようなものです。もう少し具体的に言えば、リゲティや、メシアン、そして武満徹と来て、そこから何故か、¥レーベル全盛の頃。ゲルニカからウニタミニマというあたりまでを含めて現代音楽のイメージをボンヤリと形成しているわけです。
そのボンヤリイメージをこのバンドに入れたいと思ったところからFM音源が使いたい、に接続されております。間違っても現在の潮流であるアナログモデリングではない。そういう融通の利かない思考の果て買ってしまったシンセが「reface DX」となります。買って1ヶ月と少し経過。この算盤みたいな小型シンセを紹介したいと思います。楽器評というと引っかかるところはあまり見受けられませんが、僕はメーカから金をもらってるわけでもなく、恩も義理もないので(笑)、良い所はもちろん、ここは駄目だな!というポイントもハッキリと書かせていただきます。その駄目だな、の中には自分の偏見、好き嫌いで言っちゃっている(すいませんね!)ところも大分入りますので、そこは割り引くなり、自由に反感を持っていただいて、つまりはご自分のお考えを整理する一助となればと思うものです。
まず、このシンセの最たる特長は鍵盤です。ミニ鍵盤ですね。大分弾き倒しましたが、このミニ鍵盤はYAMAHA自画自賛?しているだけはあるのかも知れない。意外に自然な感覚で弾けます。ただ、これを言ってはオシマイよ!となりますが、僕はそもそもミニ鍵盤は好きではないので、これはマイナスポイントです。鍵盤は標準でなければいけない!「バカは死ぬまで治らない」という、この恐竜の胡桃大の脳ミソ。もう少し柔軟性が欲しいところです。ですので、メーカさんには標準鍵盤使用を出していただきたいと思いますが、まあ無理でしょうかね。何やらこのDXには旧来と同じようにDXⅡというのがリリースされるような気がするわけなのですが。。

次に音です。このシンセの真骨頂はそのサウンド自体にあります。この小さな筐体からは想像を超えたハイファイな音ですね。端麗で透明感が素晴らしいと思います。それはエグイ音を使っても、しっかりと残っている感じで、設計から製作までが一環して高次元での仕事ぶりだったことが伺い知れます。僕ってステージピアノもそうですが、悔しいかな、中心となる機材はいつもYAMAHAに落ち着くところがあります。初めて弾いたピアノがこのメーカのアップライトピアノだったところからのあまりに長い付き合いが横たわっているのかも知れません。
次にこのシンセを使うにあたって触れておきたい、soundmondoという音色共有システムです。これはUSBを介して、世界のユーザが作った音色を得られるというものです。キーワードから絞り込むと、それなりの方向性で面白い音に巡り会うことになります。その音を自分のreface DXに割り当てて、更にエディットを加えて行くのが良いように思います。世界各国のユーザさんと音色で繋がっているのは楽しいし、独特な醍醐味があります。40年映画やアレンジの仕事をやってます!というのに限って音はしょぼかったりする(笑)のが愛嬌ではあります。今の所、即興パートのバックを作るところに使用しておりますが、もはやこのシンセ以外は考えられないところまで来ています。
小さな巨人と言っていた方がおりましたが、正しくその通りだと思います。
最後に若干の引っかかりに触れます。それはボリュームベダルのFC-7が使用出来ないということです。ボリュームベダルに限らず結線はシンプルに行いたいので、この辺は改善していただきたいです。このシリーズの他のモデルは使用出来るので、何かしら技術的な理由があるのかも知れませんが、個人的には解せないところです。
次に、レイヤー・スプリット機能が無いというのが気になります。特にスプリットはライブで使用することがあるので引っかかりは強いかも知れません。

音造りに関係した操作性は良好です。優秀な設計であり、よく練られている印象です。特にタッチセンスのデータエントリーキーは使い勝手がよく、FM音源へのアプローチを軽快なものにしてくれます。そうだ!もうひとつ。パネルにはピッチベンドがありますが、コレと別にモジュレーションホイールがあれば、、と思いました。ホイールでも良いし、新型のタッチセンスみたいなものでもOKだった。昔のリボンコントローラや、ムーグやアープが採用していた白いゴムのような質感のものでも面白かった。ノードの石や木材を使うセンスがこの小型シンセに在ったら、どれだけのインパクトが得られたか?と少々残念な気持ちになります。それだけシンセとしての内容が濃いだけに惜しいなぁ、、と。最後に軽量コンパクトでは右に出るものがない本機ですが、筐体の質感が高く、巷でも言われている通り確かに高級感があります。スイッチひとつの造作にも丹念に作られたところが見受けられてスイッチを入れて灯りが灯った色調もとてもクリアで美しいです。こういうところも楽器のキャラとしては見過ごせない大切な要素だと思います。

 

ライブ告知・3/30(sat) 四ッ谷Doppo

その昔、FLAT122は数々のライブを経験しましたが、この新しいメンバーの組合せによるFLAT1-22のライブは今回が"初"となります。何と言ってもマリンバを中心に置いているところがミソ。是非ご注目のほど。またこのライブにはギター・平田聡の参入が決定しており、もはやハイフンの有無など関係なし!ということになります。ハードルを限りなく上げたFLATのスタンダードと、ソロパートに重心を置いた作品、時を超えた新旧作品に触れていただければと思います。

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久しぶりの新曲のこと

本当に白紙から作曲した作品となると。もしかすると6年ぶりくらい?と思う。直近では「真冬のTV塔」だろうけれど、あれは蛇行の産物で、まだまだ完成の域にはほど遠い。マリンバ入りFLAT1-22にも向いてそうだから、梃入れする予定ではあるけれど、もっとシンプルに2本のテーマくらいにおさえて演奏力で変化を付けたら良いと思う。さて新曲は、アンコールを万一受けた時などに最適な小品となる。FLAT1-22では昔、平田君が「Etude」という難曲を書いてくれた。これは2つの作品が組み合わされたもので、後半のバッハ的なアプローチがとても難しく、僕が書くギターパートと逆に彼が書いたピアノパートは実に弾き難く、苦労した憶えがある。新しいFLAT1-22は旧FLAT122をしっかり踏襲したいという強い考えが僕にはある。このEtudeという要素を、もう一度自分なりの練習曲として作曲してみた。60小節程度のこれまでで最も短い作品となる。この作品は実はパロディがあちらこちらに隠されている。これは隠されているのだから聴き手から勝手に解釈していただきたい。が、ヒントとしては全体としてはバッハの平均率のどこかから引っ張って来た部分がある。ブリッジのデティールにバイオリニスト・ジャンリュックポンティの昔の作品から触れているところもある。但し、音使い、コードプログレッションは全く異なる。当り前だけれど。
この作品のタイトルは長ったらしい。正確には「Etude 01 マルチトニックシステムのために。"CONTRAST"」という01の後に長ったらしい副題が挿入されている。
マルチトニックシステムはジャズ理論の最終段辺りで出て来る定番である。簡単に言えば、トニックという主和音をコードプログレッションの中で自分なりのルールに基づいて連鎖させることを言う。主和音は通常、その前後をドミナントサブドミナントを介して終止、もしくは一旦終止させる役割を担うものである。しかししてこの特異な理論においては、それをひとつひとつ独立させた状態で連続させる。そこには、例えばⅡ-V-Ⅰ(例:Dm→G7→C)という誰もが聞き慣れた世界とは次元の異なる音の世界を提示する。自分なりのルール、例えばルートを全て3度進行とする等を用いれば、それなりに聴き手は風変わりな音楽でありながら一応腑に落ちた感が得られて薄く(笑)納得する。自分の知見の中にある作曲要素においてこのマルチトニックシステムを好む傾向が以前からあるのは、長く音楽で付合う友人達なら知っているかも知れない。モードといえばどうしてもリディアン1発という「ファイト一発!」(笑)みたいにそればかり、、というのと同じように。

気に入るとそればかり、、というのは自分の業である。
とは言え、これだけ徹底的にこの要素を中心に添えた楽曲も珍しい。それはEtudeという作品の持つイメージからだろうか。無機質で技術に偏重しており、音楽的なところでは無味乾燥なEtude。しかししてショパンエチュードのように音楽として練習曲を超えた練習曲もこの世に存在することも確かだ。
ショパンと自分では比較にすらならないけれど、単なるエチュードとは違いまっせ!というところだけは共通点と言ってしまうか。マルチトニックシステムが顕著に響きを聴かせるのは付足のパート「後奏」であり、これも実はパロディが入っている。このピアノとマリンバだけで演奏する重々しく陰鬱でどこか刹那的なところを感じさせるところ。マニアな聴き手なら気が付くかも知れない。でもこれは本人が勝手に近いイメージと思っているだけなのかも知れない。思い入れは人それぞれ、その内容は大きなギャップがあることなので。

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Etude 01「マルチトニックシステムのために "CONTRAST"」

 

マリンバ・アレンジにハマる

新しいFLAT1-22の肝は何と言ってもマリンバの存在だろうと思う。絵柄的にも誰がどう見たってマリンバに視線が行く。グランドピアノのデカさはまあ別として、マリンバの体躯もまた見事である。このバンドのマリンバ奏者は三浦咲さんですが、通常のリハーサルは電子マリンバというのを持って来ます。コンパクトで使い勝手の良い緊急対応用のスタンスと思いますが、これでも決して小さくはない。マリンバ以外の音色も若干用意されているのは良いところです。マリンバのアタックは通常のシンセ音色でも違ったエンベロープを描くので、全く違った世界となります。
さて、最初のセッションからそこそこ時間が経過してマリンバのアレンジをやり直すところが出て来ましたが、これは仕方のないところでした。
当初はどうしてもシーケンスフレーズの多用が目立ちましたが、これだけではあまりに寒い!氷点下の世界です。素早いフレーズから一気にスパッと切れたように休符を入れて、次の小節に向うように駆け上がるとか、、一小節思い切ってブレイクして次の小節の効果的なタイミングでフォルテでドンと一発叩いてもらう、、とか。そういうメリハリとダイナミクスを考えると他楽器との対比がより鮮明となってバンドのスケールアップに繋がるはず。そういう創意工夫の欠片もない。ということで、相変らずの「雨の工場地帯」の梃入れは展開部のマリンバソロパートで、本日お昼過ぎからずっと取りかかっておりました。早いトリルから、三連に変化させて少し遅いトリルと変化を付けて、次のフレーズに移行するように考え、一定の効果を得たと思います。ようやくこの作品も少し上向いて来ました。酷いときは全体を一気に見直そうという悪い癖が出そうになりましたが、寸止め(笑)です。ここまでバンドで練習したことを先に活用するべきであり、その方策を練らないと、間違いなく同じことを繰り返すことでしょう。ぐっと我慢してバンドに持って行ったアレンジのデータを引っ張り出し、出来る限り変更しないように注意しながら精査していくと、改善点が浮かび上がって来ます。ひとつはピアノソロの出来の悪さ。そしてもうひとつはその後に来る展開部ピアノとマリンバのアレンジに何の工夫もないことです。ベース+ドラムのアレンジの変更は不必要です。コードプログレッションの流れと旋律の悲し気な、つまりいつもの浪花節に頼っているだけ、、というわけです。この浪花節を深化して「映画の世界」に変容させるには、徹底的なアレンジに対する考察が必要です。それは構築、確認、破壊という永遠に続くかというようなリピートとなります。大体いつの間にかシーケンサー走らせたまま眠ってしまいます。ピアノを弾いたまま寝てしまうのは自分の場合太古の昔からです。
音大の頃からでしょうか、ピアノには指練習のためのハノンというのがありますが、あれの適当なところで全調で弾くわけです。ウォーミングアップとして。ハ長調からロ長調までですね。すると大体ト長調辺りから夢の中に入り込み、何時しか弾きながら眠ってしまう。ピアノの音って子守唄を兼ねていると思います。さて得意の脱線が始まりました。マリンバのアレンジがピアノの子守唄になってしまいました。FLAT1-22が長く続けば良いと思います。ジャズピアノトリオってのだけは未だ拘り強いですが、それ以外の蛇行はもう封印です。このバンドの浮沈はピアノとマリンバの演奏力とアレンジにかかっていることは確かです。三浦さんの僕の作品に対する熱が冷めないよう頑張らないといけないと強く思います。

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アレンジ中の「雨の工場地帯」マリンバパート



雨の工場地帯〈01〉

タイトル:雨の工場地帯
作曲日時:37歳頃・冬
作曲場所:当時住んでいた練馬区桜台マンションの一室
演奏記録:2018年頃から数回 都内ライブハウス

この作品はタイトル通りで17歳時分の瞳に映った光景を音楽にしている。当時、私はピアノを習っており、それはスポーツ用品店の3階の片隅。こんなところに部屋があるのか?という隠れ家のような場所で、冴えない初老の男性がつまらなそうにピアノを教えていた。お手本なんか聴いた事もない。それだから、意欲など地に落ちてレッスン代はこっそりプラモデル代に化けていたのだ。
このスポーツ用品店からプラモデル屋のあるところまでは、そこそこの距離があるが決して歩けないという程でもなかったように思う。それでもバス停で4つ目くらい。途中この町唯一の大きな立体交差があって、その坂を下っていくと夕暮れの中に、巨大な製鉄所の工場地帯が姿を現す。小雨交じりの向こうに緑色のイルミネーションで「安全」マークが輝き、その後ろに林のように乱立する煙突から、白色、灰色、オレンジ色といった様々な毒が吐き出されている。そのずっと奥には二基の巨大な熔鉱炉が複雑な姿で聳えている。その太く入り組んだダクトとパイプから連なる形状はまるで得体の知れない生き物の臓物のようであり、不気味としか言い様がない。しかしして自分がこの慣れ親しんだブレードランナー宛らの世界を愛していたのは確かである。
遠く、消え去った幻の景色である。

この自分の心に焼き付いた景色が音にどのように反映されるのか?は勿論、音楽的な技巧によるところもあるが、それよりも心に一度焼き付いたものが、どのようなフィルターを介して、10本の指によって奏でられるものなのか。これは一生かけても解き明かすことの出来ない謎であろうと思う。
よく言うことだが、人間はそれ自体が小さな映画館みたいなものであり、人それぞれ自前のフィルターと再生装置を備えている。これにより、過去の断片は美しくも醜くも脳裏に蘇る。脳裏はつまり一種のプロジェクターのようなものであろうか。
本作品はこのようなイメージから音への転化に付いて、他作品と比較して特に考察の及ぶタイプと言える。

この作品をしばらくは、叩き台にのせて(新生FLAT1-22と関係させて)分析ノートを付けて行きたい。
つまり記録ノートということになるか。

本日はその前口上。途中から眺めたら随分不親切な面構えな文となりそうだが、知ったこっちゃない。

自問自答のようなものだから。(でも本来の日記ってわけだ。母親に盗み読みされたら鬼のように怒ると!、、笑)

FLAT1-22の"ハイフン"

FLAT122は僕がコレ迄もっとも心を砕いたバンドだと思う。ギター、ピアノ、ドラムというベースレストリオ。ベースレストリオというのは、実はそれほど珍しくはない。る*しろう・烏頭なんかも同じ編成ということになる。
このFLAT122は活動を休止して随分長くなる。一昨年と昨年の2年間このバンドを何とか再生しようとあらゆる手を尽くしたが頓挫したままとなる。
頓挫の中身をここでぶちまけても意味がないので(これを面白いという人も中にはいるのですけれど、、笑)
考えてみれば、2作目のカゲロウというアルバムリリース後、僕はこのバンドの新しい形を考えていたのかも知れない。

その蛇行具合は笑ってしまうほど凄まじい。ご一緒した楽器の種類もまた多岐に渡るが、その中にギタリストが一度も入らなかったというのがポイントでもある。ギターってとても好きな楽器なのに、、と少し淋しいけれど今は、ようやく割り切ったところ。そもそもギターとピアノの組合せが難しいところがあるので、もう拘らなくても良いか?となっている。コードの摺り合せはベースと行うだけでも骨が折れるのだから。
ということで、来年早々にこの新規のFLAT1-22を立ち上げようと思う。ハイフンを入れたのは、1回だけライブを行った僕とドラムの佐山さん(烏頭)、そしてクラリネットの西村さんという超変則ユニットだったが、これは西村さんの多忙なスケジュールにより即行で頓挫してしまう。その後このネームを引っ張り出すことはなかったが、一昨日行われたセッションで手応えを掴んだセットに、ハイフン入りのタイトル通りのバンド名を使うこととした。ハイフンはとても重要なのである。ここには2つの意味が含まれる。ひとつはアルバム2作をリリースしたFLAT122はあくまでも「ギター在っての」となるので、こちらと差別化したいということ。もうひとつは、このバンド名、そもそもはハイフンが入っていたわけです。それを若干煩雑なイメージがあるというのでシンプルにした経緯があります。ですので、今回使うハイフン入りはオリジナルと言う事になります。1-22は「1号棟・22号室」の意味ですから、本当はこのように区切りを入れることで、この僕が10歳まで過ごしたアパートの一室になると。
この新しいFLAT1-22はピアノ・マリンバ・ベース・ドラムの4人編成です。この4人でセッションしたところ、まるで穴の空いたピースがスッキリと埋められた感じがしましたので、他メンバーもコレは進めましょうか!ということでもあり、上記の流れとなりました。とっかかりは殆どがFLAT122のオリジナルで、これをこの編成で白紙からリアレンジしておりますが、既に3曲叩き台にのせております。つまりは、中心となる作品である、「波濤」「Spiral」「Neo Classic Dance」で、今「Panorama」で完成するところです。来年の3月頃には1回目のライブを行い、2回目のライブ後に収録を行ってみようと思います。流通は僅かで物販中心になるかも知れませんが、とにかく切れ具合鋭いスピードで駆け上がりたいと思います。このバンドの情報は随時このサイトにアップして行きます。ご注目のいただければと思います。

 

 

バンドはメンバー達の相性によって、、。

FLAT1-22のベース・中島さんがタイトルのようなことをおっしゃっていたわけです。
結局そのバンドが続くか否か?それはテクニックやら音楽性やらというよりは、人間としての相性によるかも。という一理あるお話。
どんなに音楽が上手く行っていても、考え方や、性分に著しい乖離が在るとどうしても辛くなって来る。
また、あまりに似過ぎているのも駄目だ。少しの違いであっても大袈裟に感じてしまうから。
程良く違っていて、お小言を頂戴して意外に後に引かない。そういうのが理想だ。
人間長くやっていると、どうしても自分に変換かけるのは難しくなる。年を重ねるほどに周囲は自分に対して煙い意見は遠慮するようになる。なので、僕としては少しはカチーンと来る言葉を投げかけるメンバーは大切と思います。
まあ、これが誹謗中傷に近いのでは、困りますけれど。
バンドは作曲、歌があるのなら作詞、アレンジを担当しているのが中心となり、そういう作り手と演奏するメンバーとのやり取りによって運営されて行く。
だからと言って演奏するメンバーも大人しく仕事ノリで無難にこなすだけでは、作曲者のデモの縮小版みたいな音楽にしかならない。
昨今の作曲者は大体が、DAWというコンピュータと共に音楽を制作する。僕もそうだが、それだけ緻密に自分のビジョンを再現している。それをバンドに投影したときのギャップというのは結構見物ということで、作曲者はここで一発項垂れてしまうのである(笑)しかし、力のあるバンドならそこから徐々に音源よりもずっとスケール感のある豊かな音へと持って行く。次第に音源を超えて行く時、それは作曲家にとって最も幸せなタイミングかもしれない。

現時点でのFLAT1-22のメンバー構成は4人となる。僕はこの4人以上に増やす考えは全くない。4人でも多いと感じるくらいなので。では、何故に4人なのか?と言えばマリンバという少々特殊な存在が理由となる。この楽器は是非とも自分の音楽人生において経験してみたかったので、こうなると自分の辛気臭い理想等はどうでも良くなる。
それで、今、メンバー全力で音楽の構築に励んでいるわけですが、、これが、、、。
そう甘くなかった。
ドラム、ベース、ピアノ、マリンバ、とある意味リズム楽器ばかり揃えたところで、エンベロープがギターのように延びるスタンスの楽器がない。ベースは可能だけれど、基本ドラムとタッグを組んで支えているわけだ。
ピアノもペダルを踏めばそこそこ音は持続するが、それをやり過ぎるとピアノの音響的な特性上、バンド全体の音を混濁させる。ということで、このバンドはまともな音楽を奏でるには妥協のない演奏力が必要ということになる。鬼のようなテクニック、鬼テク(笑)が必要なのだと思う。バンドの練習など限られるから、個人それぞれ如何に真面目に音楽生活を送っているか?というところがポイントとなるのだろうか。いやはや、上から目線で申し訳ないけれど、事実だから仕方ない。大体リーダーの僕が危ういのだから大変だ!!音大受験の時のようにバカみたいに練習しないといけないらしい。

ただ、この四人の相性はとても良いように感じます。僕が切れなければ。。僕はあまりに小言を多いと、岩手沿岸部出身の特性(笑)で「なにぃ、、、!!!うるせぇんだよ」となってしまうわけです。即行で忘れてしまうので、気にしないで欲しいのですけれど。このバンドのメンバーはなかなか強者で、凹み難そうです。これは素晴らしい収穫です。遠慮なく、やっていこうと思います。今日は「Neo Classic Dance」を更に現代的な色合いにする作業に没頭しておりましたが、随分上手く行きました。一柳慧を聴いたのが良かったのかな、、。

About "FLAT1-22"

FLAT1-22は2002年5月に結成されたベースレストリオがスタートとなります。その年のゴールデンウィーク、僕はま嫁と2歳そこそこの息子を連れて帰省しました。東京に戻る新幹線の車中で、ふと沸き上がった「音楽ユニットをやらなければならない」という強迫観念にも近い感情は止む事がなく、即座にメンバー探しに着手しました。
それは12年間の深い眠りから覚醒したようなイメージだったでしょうか。僕はそれだけ音楽活動から遠いところで惰眠を貪っていたわけです。
音楽はコンピュータを前にして打込みだけです。暇があれば音源やシーケンサーに囲まれて、それで十分満足していたわけです。

2002年5月 僕はドラマーの石田さんと出会って、まずは二人で音出しをしておりました。石田さんはジャズドラマーでしたが、僕の作るジャズからは程遠い音楽であっても特に気にする素振りはありませんでしたが、6月にギターの平田君が加入してからバンドはずっと、それらしく変容し同年11月11日、高円寺ペンギンハウス出演においてのライブでは、バンドの課題と方向性がよりハッキリしたように思います。
2002年3月 石田さんからドラマーが田辺君にチェンジしましたが、その経緯に関しては、かなりの紆余曲折があります。その間に二人のドラマーが挟まっており、その後に田辺君が正式メンバーとしてFLAT122に加入しました。僕も平田君もしっかりと腰を落ち着けて演奏してくれる、欠けていたピースを夢中で探していたと思います。

2005年秋 その後ライブを重ねてスケールアップしたバンドは若干の勇み足を感じつつもレコーディングに入り、約10ヶ月程度の制作時間を経て1stアルバムをリリース。仏・ムゼアからの先行発売とし、後発で国内発売に至りました。

2008年まで更にライブを繰り返し、バンドは更に認知度を高めて行きますが、川崎・平田という二人の作曲家は事ある毎に意見の食い違いから対立し、しかし皮肉なことにそれがまた聴き手の感心から人気へとシフトして、このバンドの個性を確立に一枚噛んだところがあります。
演奏のやり直しは言語道断ですが、更に本番ステージ上で客を前にして、アレンジ変更の打ち合わせをするのも何だか凄い。客席が不安げにざわついていた記憶は今も鮮明ですが、マニアな聴き手は、これが面白いと好意的に受止めたわけです。

FLATはいつも音楽本意であり、やたらと熱く燃えておりましたが、それが音楽となると緻密で無機質なところがありました。それはハード・ミニマル(いい加減な僕の造語ですが。)を標榜し、その上に旋律をのせるという一環した作風と対称的であり、そのギャップがこのバンドの魅力だったのでしょう。
この2008年には2ndアルバム「KAGERO」をリリースしましたが、実はこのアルバムのボーナストラックには波濤のライブ版が入っております。この演奏が僕は三人による演奏としては最も旬な頃だったと感じます。
そして、その後、バンド構成を広げてアレンジに工夫を凝らしたい平田君と、ミニマムな単位で音楽において世界を広げたい僕と乖離が広がり、自然な形で長い活動停止となったわけです。
平田君と田辺君は、大山さんのお誘いを受けてエレアスのメンバーとなり活躍しており、僕はKTGを結成してそこにはクラリネットの筒井さんがおられるわけです。
そして、幾つかのユニットを作っては失敗した僕はまるで「プログレ界の壊し屋」のようでした。昔F1界の壊し屋と言えばチェザリスでしたが、そのプログレ版と(笑)。

何をやっても上手く行かない自分は自然「FLAT再生」を考えるようになり、酷い蛇行の末、辿り着いたのがマリンバをフロントに立てるという自分でも想像していなかった流れでした。
これは2018年10月13日に対バンで演奏しておられました三浦咲さんと知合いになったところから、セッションを経て実現しました。マリンバとピアノを中心とした音楽は、兼ねてFLAT時代に僕が強く願っていたバンドとして現代音楽の一角を担う、、という目標に沿うものでした。新しいFLAT1-22はギターからマリンバ中心にシフトしたわけですが、これにより、音楽もリズムのアプローチに主眼を置くようになるでしょう。ピアノも打楽器的な要素があり、この"四人は全てリズム隊"という捉え方が、最近のお気に入りです。

FLAT122未完の作品を10月13日ライブで。

FLAT122はこれまでの僕の参加したバンドでは最長の7年程続いたバンドでした。最後の頃はゲストを増やして方向性を探っていたところがありますが、これは現在の平田さんのユニットに受継がれていると思います。FLAT122の2ndで既にその内容の一旦が示されているのは確かですが、僕個人の考え方ではFLAT122はあくまでも3人によるアンサンブルであり、ゲストは最小に止めておくというものです。このように彼とは考え方で至る所、異なるところがあり、その違いが火花となってバンドのエネルギーになっておりました。当人達がキツイことになっても、それは聴き手からすれば音楽の面白さに接続されていたに違いない。このバンドが揉めれば揉める程お客さんは興味を新たにしていたようです。さて、このバンドの最後の作品となるJR120という作品がありましたが、これを今回叩き台に上げてみました。未完成でエンディングがゴチャゴチャと脈絡のない構成になっていたりと、、酷い有様でしたが、まず構成をスッキリさせて誰もが聴けば分かる旋律、そのテーマを出来るだけ前に押出ました。展開部やブリッジもこれでもか!というほどにハーモニー、旋律で聴かせるように珍しくストレートな方向性を打ち出しています。

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▲ピアノソロと表記がありますが、この作品にはジャズ方向のモードを駆使したソロは少し違う。結局作り込みをしたわけです。譜面は展開部7/8に移行するところ。この7/8パートはマイナー♭5が連鎖するマルチトニックシステムを使っており、イメージ的には雨の庭を紫陽花を眺める自分(これ自分の原風景です。)、その淋し気な景色と、それにより心に投影される変容したイメージと言ったところでしょうか。

やはり作品は旋律、メロ重視!!が横たわらないといけないでしょう。たとえ捻った作品でも素直にアプローチすると面白い旋律、リズムが心に入るように、考えております。この作品名JR120は某国産車のエンジン型式名でしたが、何だか鉄オタみたいなので止めました。別に鉄ちゃんが苦手というのではないですが(実際、僕の友人・知合いには実に多いです。因に皆さんキャラが濃厚です。)曲のイメージとは乖離しているのが気になっておりました。新しいタイトルは「Abyss of Love」まあ「愛の淵」とか「愛の深淵」とでも言うのでしょうか、何とも危険なダサイ香りが致します(笑)しかし、このタイトルは流石に考えて命名しただけあって、作品全体のイメージには合っていると思うわけです。実はこの裏に隠されたパロディとして大島渚監督作品の「愛のコリーダ」「愛の亡霊」ってのが在るわけです。邦画が少しはまともだった頃の力作ですが、この映画のイメージを若干頂戴しているかも知れない。まあ、あそこまでドロドロしておりませんけれど、、。
最近、設計された即興曲「In Sprit」というのがありましたが、これもどちらかと言えば人間臭いタイトルです。長く、景色、風景、温度湿度感、空気感などをモティーフにしてきた僕ですが、流石に少し辟易としたのでしょう。人の心の正体、その奥深くに巣食うものを音にしたいように考えが変わって来ました。変って来たというより、そういう考え方が付加されたと言った方が正しいか。
そういうことで、この「Abyss of Love」のピアノの弾き様がようやく固まって来ました。なかなかの難産で何度弾いても満足出来ない。意味のないアルペジョ、つまらない音使い、曲とアレンジに大きな断層があって散漫な印象、これじゃ単なるBGMとか、、もう一人の聴き手の自分が恐ろしい量の駄目出しをして来ます。しかし、一度ラインにのせた作品はたとえどんなことがあってもステージで弾くべきと近頃は初志貫徹を流儀にしておりますので、この一週間ほどは毎日暇さえあればこれだけを弾いておりましたが、何とか人様に聴かせられるところまでは来たかも?という判断です。後はこのピアノアレンジを変えることなく練習するということになります。この段階まで来ると精神的には楽になって来ます。さて、また練習に戻るとしましょうか。

〈ライブ詳細〉

10月13日(土)吉祥寺シルバーエレファント
PROGRESSIVE LIVE 2018~
出演
①TAKA WORLD
cl.筒井香織 pf.syn.川崎タカオ b.中島洋隆 dr.田辺清貴
 
②キクラテメンシス
fl.鈴木和美 key.秋山佑介 b.国分巧 dr.吉田真悟 g.加藤裕幸
 
③Benoit Moelren tribute project
marimba.三浦咲(from.ソニック・トライ・アンダーグラウンド、リベラシエロ)
g.林 隆史(from.Qui)b.中島洋隆 dr.菅野詩郎(from.KBB)
 
OPEN 17:30 START 18:00 前¥2500

■シルバーエレファント
住所:東京都武蔵野市吉祥寺本町2-10-6B1
電話番号:0422-22-3331
公式サイト:http://silver-elephant.com

KTG台風ライブ?無事終了しました!

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おそらくKTGライブの中、今回の「四ッ谷Doppoライブ」は、かなり良い内容だったと思います。新旧とりまぜ、これだけの難曲と変態極まりない実験的な試み。それを意外に軽く乗り越えて行ったのは、このバンドが細々とであれ継続して来た重なりが在ったからです。
また、作品に対するアプローチにもメンバーそれぞれ特長があります。
・音楽的な高い素養と幅広い技術力で作品内容のポイントを素早く掴み採る真の豪腕。
・(おそらく)こちらの資料をかなり深く聴き取り、そこから自分の技術の繰り出し方を大体のところで捻り出すタイプ。
・そして、譜面から読み解き、本番ギリギリまで弾き倒して作品に近づこうとする力技で勝負するタイプ。

この3タイプが一体誰なのかは秘密です。マニアなお客様や、メンバー本人なら分かると思います。
それで何が言いたいのか?と、、この違いこそがこのバンドの真骨頂なのですね。一見仲が良くて、飲んだり食べたりが昔から突出して多いのも特長ですが、実はこの三人は随分違っています。本日のライブはその違いが合奏においてキレイな火花が散って、僕の主題であるイメージ表現をイイ線まで辿り着いた印象でした。
特に2曲目で演奏した「In Sprit」は彼らの演奏を客観的に聴くように隙間を設けておりますので、自分の指示に対して如何なるアプローチを繰り出すのか、と耳を峙てているわけです。この設計された即興曲は、こうして演奏してみると、楽曲を進める中心線は間違いなくドラムです。そしてピアノは即興という行為を極力「曲」に変容する方向に持って行くということになります。ですので、この2つのパートの責任が重いことになり、ベースとクラリネットは、どちらかと言えば、自分のセンスを遠慮なく発揮出来るということになると思います。そしてその成立のさせ方は彼らの理解と技術により、乗り越えられたと判断しています。タイトル通り、この作品は珍しく景色や風景を表現したものではなく、自分自身との対話から接続される精神性を音にしたものです。と言っても決して暗いイメージではなく、つまり明暗でもなく、いつも拘っている温度感もない。そこにあるのは実に平坦で無形なもの。不思議なのは、そういう考えで奏でているテーマがやけに演歌調で(笑)マイナーコード一色というところだ。このコードはBmを中心としているが、面白いのは決して広がり難いということはなく、そこそこな時間を用いて演奏可能であること。それは、今年初頭からとにかく聴いたECMヤコブ・ブロトリオの2枚のアルバムから得たところが大きい。決して即興だけの垂れ流しではない。そこには進行とルールが設定されており、演奏家はその枠内においては自由だが、決して枠から逸脱してはいけない。譜面で行う音楽よりも厳しいところが在り、それでも自分の音出しのタイミングを提案しつつ、他の演奏家との音の線(ベクトル)を現場において構築して行く。確かに、この作品の枠と設計をしたのは僕だけれど、実際に作曲したのは紛れもなく彼ら三人なのです。バンドの誰もが作曲家であることは、理想だと思う。それは面倒極まりない譜面(なかなか信じてもらえないのだけれど、僕は譜面がとても苦手です。)から解放され、その代わりとなる設計書を目にする。それは白紙を渡された画家と似ている。ただ、その白紙には朧げながら線が描かれているわけだけれど。更に言えば、ひとりだけ(今回それは僕の役割としました。)ある程度決まった旋律を演奏する事とする。該当する演奏家は、弾き方やヴォイシングのフレーズの変化を伴いながらも中心線から遠く離れないように注意して進行する。そうして作品のテーマ性を押出し、聴き手と演奏家側のある種の共有スペースが生まれる。KTGは僕のこういった考えに沿って、音楽を成立させました。これは本日ライブの最も大きな収穫です。クラリネットの筒井さんが仏に戻るのが、とても残念ですが、それでも"しぶといKTG"は独自スピードで音楽を進めていくことでしょう。

KTGは実にしぶとい、と思う。

KTGは2009年12月に結成された世にも珍しいクラリネットフロントのバンドです。クラリネットは筒井香織さん。アストゥーリアスの奏者としてご存知の方もおられるでしょう。渡仏して、仏中心に演奏、作曲において活躍されている才人です。

ぶっとんでいる!こういう言い方が似合うのは実はこういう人だと個人的に思います。世には実に器用で嫌になるくらい上手な演奏家がおりますが、そういう世界とは一線を隔てているところがあり、よくある表層的で底浅な音楽からは対極的な位置に佇むタイプです。
現在、一時帰国しておりライブを行うことになっております。

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▲設計された即興音楽「In Sprit」
9/30昼ライブですが、四ッ谷Doppoというところで演奏させていただきます。
何だかひっそり感漂うライブですが、しかし内容は実に濃く、このユニットの持つ様々な技が表現と結びつき、作品イメージを前面に押出して行きます。
小映画のようでもありますが、心の奥底に灼けた針をスーッと刺すような音でもあるでしょう。
しかし、実はそれは決して不快なものではなく、調度ツボに効く治療のように温かな余韻として残ることを確信しております。

KTGは結局、僕の起こしたユニットで唯一生き残った貴重なバンドです。その生命力はメンバーの相性と共に、このバンドに対する理解の結晶から形成されたものだと思います。リーダーの資質など皆無な私、飽きっぽく、コンプレックスに苛まれている人間でありながら、ここまで継続したことをメンバーに感謝しつつ、ライブ当日を迎えたい。が、しかし宿題はまだ燻っており、急遽プラスして1曲練習しなければなりません。こういうところもまたKTGらしい。
是非、ご注目いただければと思います。

9/30日(日)
四ッ谷Doppo 昼ライブ
出演
1.平和堂
唯一無二のサウンドを聴かせる神山敬太率(dr)いるユニット。強力なリズムと不思議なイメージの構築。
2.KTG
仏で活躍する筒井香織(クラリネット)をフロントするテクニカルユニットです。
一時帰国の「お帰りなさいライブ」となります。

■四ッ谷Doppo
OPEN 12:30 START 13:00
13:00~13:50 平和堂 14:00~14:50 KTG
当日券のみ ¥2700(1ドリンク付)
〒160-0008東京都新宿区三栄町1-2CSビルB1   03-6380-4245
公式サイト:https://doppodoppo.wixsite.com/soundcreekdoppo

もしかすると、、このバンド。

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タカ世界ってバンド名は仮題ということです。何しろ、急遽このようなメンバー構成になったところがあります。メンバーのスケジュールによって、バンドの編成が変化するのは古今東西ありがちなことですが、このバンドの本日リハーサルを聴いてみると、ある種の器を持っていることは確かです。これはメンバーで感じ取った方もおられると思います。バンドで大切なポイントのひとつに、リハーサルでもライブでも合奏していて楽しさを感じることです。その楽しさは何処からくるものなのか?今日は帰り道、そんなことをボンヤリ考えておりました。
おそらく、それは細かな呼応ということになると思います。
音楽でなくても、人間関係の相性というのは何事においても付いて回りますが、それほど違わないでしょう。よって、人間同士の共同作業である合奏においても人間としての相性は関係してくると思います。
リハーサル以外の時間も、メンバーと言葉を交わして、理解を深めることは回り回ってバンドの演奏を円滑にし、良い方向に向わせる助けになるに違いありません。
私の提案した今回の作品は、とてつもなくゴチャゴチャとした面倒な内容を持っております。しかし、ここまでアレンジをやったのは実に久しぶりのことです。時間がなく見切り発車したパートも散見され、それはクラリネット筒井さんはじめメンバー達の助言と、作品に対する理解と判断力により、時間の経過とともに乗り越えていく形がハッキリ見えました。自分の音楽を諦めきれない理由が、こうした音楽の歩みが自分の感覚を通して伝わるところにあります。ライブの緊張感や、聴き手さんからの感想を受止める時もまた幸福な気持ちになりますが、このバンドのリハーサルから希に受ける柔らかな幸福感というのは独特なものがあります。作品を書く作曲家は演奏していただくメンバーに多くの感謝を持たないといけないのだと思います。自分の貴重な時間、エネルギーを私のまだまだ至らない作品に使っていただくというのは、実は大変なことです。少しでも完成に域に達して、社会的な認知を受けられたらと願うものです。10月13日シルバーエレファントライブは、リハーサルから直線的に曲がらないイメージで臨みたいと思います。

10月13日はシルエレライブ!!

シルバーエレファントはFLAT122の時代からお世話になっている吉祥寺のライブハウスです。よくプログレの聖地と呼ばれたりしますが、私としては内容は自由で様々なバンドさんが出演しているという印象を持っております。
今まで、数々の対バンと共演させていただき思い出の多い「箱」です。

さて10月13日(土)は久しぶりの出演となります。今回は言い方は問題があるのですが、ごった煮的なユニットということになりましょうか。

川崎タカオ/筒井香織/中島洋隆/田辺清貴、ここに+1しております。この+1がミソでありまして、当日ゲストとなります。出演の可否が当日となりませんと分からないという、ある特殊な理由がございまして(変な理由ではないです。むしろ明るく目出たい理由です。)今から祈るような気持ちであります。
このメンバー、またゲストさんの楽器から、音楽的にはFLAT122+IMAGOという形が見えて来ます。
自分の中心線に在るのは、今もFLAT122ということになります。絶えず変化を求める実験性、リスクを恐れない作品の変遷。聴き手に媚びることなく尖りまくるというのは演奏家として当然のことながら実に難しい。バンドを率いることに年々疑問と自信を喪失して来た私にとって今年の5月25日に行ったライブは、久しぶりに自分がバンドをコントロールしている実感を伴いました。そのキッカケが今回の一見セッション的なメンバー構成の基礎になっています。是非、ご注目いただければ幸いです。

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10月13日(土)
PROGRESSIVE LIVE 2018~
出演
Benoit Moelren tribute project
marimba.三浦咲(from.ソニック・トライ・アンダーグラウンド、リベラシエロ)
g.林 隆史(from.Qui) b.中島洋隆 dr.菅野詩郎(from.KBB)
 
キクラテメンシス
fl.鈴木和美 key.秋山佑介 b.国分巧 dr.吉田真悟 g.加藤裕幸
 
TAKA WORLD
cl.筒井香織 pf.syn.川崎タカオ b.中島洋隆 dr.田辺清貴
 
OPEN 17:30 START 18:00
前¥2500 当¥2700
チケットご予約開始 8月13日15:00より

■シルバーエレファント
住所:東京都武蔵野市吉祥寺本町2-10-6B1
電話番号:0422-22-3331
公式サイト:http://silver-elephant.com

25年ぶりのバリ島で聴いた「スマラ・ラティ楽団」

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インドネシア・バリ島の旅。
急ぎ足でハードな日程だったけれど、25年前に旅した時と比較すると空港周辺の変貌ぶりは呆れるほどだった。
数年前に訪れたペナンも高層ビルの建設ラッシュで昔の風情は何処へ、という悲しい状況だったが、まあ似たような状況か。でも、バリ島には僕にとって最後の砦が在る。
ガムラン」です!!

ガムランはご存知の方も多いと思います。
バリヒンズーの儀式に用いられる音楽です。
その種類も様々ですが、25年前にホテル中庭で聴いて大変なショックを受けたジュゴク(平たく言えば各種木琴のみでポリリズムを奏でる合奏形式)とは異なり、今回聴かせていただいたのは、スマラ・ラティ楽団という村々で形成された楽団とは違ってインドネシア国立芸術大学卒業生を中心として形成された、トラッドなガムランとは一線を隔てるコンテンポラリー音楽(現代音楽)からのスタンスを採るガムランとなります。
僕は何の知見もなく、この楽団に接しましたので、このページも帰国後に調べて若干の肉付けをしております。
ライブ会場はウブドの講堂みたいなところで、ステージを中心とした空間は独特なパノラマを構成してスタート前から期待は高まっておりました。余談となりますがバリ島に旅行することがございましたらウブドに行くのが良いと思います。まだバリの良きところが残されているように思います。
スマラ・ラティに関しては旅行記事、音楽記事で書かれている方も少なからずおりますので、ここでそれを踏襲しても面白くないでしょう。
僕の目と耳で感じたところを何時もの脈絡なき流れをもって力筆してまいります。
この楽団は、大きく分けると3つのブロックから成立しています。

1、楽団向って左側

2、楽団向って右側

3、その2ユニットを橋渡しする、リズムで流れを創出する二人のパーカッション奏者

パーカッション奏者のリズムの取り方は、後日聴いたトラッドなガムランとは全く異なる、実に変態極まりないセンスです。合ってないような合っているような、、?ズレているようなズレていないような、、?それでいて急速に全体を次の方向に向わせる恐ろしくタイトな決め技を持っております。このパーカッションの上に、右側の鉄琴奏者はガムラン特有の何とも複雑なフレーズを高速で刻んで行きます。その鉄琴奏者の並ぶ真ん中にはテンポをとる(これがないと始まらないでしょうね)メトロノーム役がおりますが、一見退屈なこの役割はスマラ・ラティにおいては一層大切となります。何しろリズムの構成が大変複雑で、変化幅が大きく、正確なメトロノームがなければ、音楽は成立しないからです。
さて左側にも鉄琴奏者達が並んでおりますが、大きく異なる点があります。ひとつは中、低域を受け持つ奏者が配置されていること。また使用する鉄琴自体も違うものが使われ、それは鉄琴両側に柔らかな音を発する棒状の発信器?が立ててあることです。これをリズムの決めのところで表裏にユニゾンで鋭く入れて(叩いて)行くのですが、こういうガムランは聴いた事がない。立て笛奏者が1人から作品によって2、3人となるところも大きな違いです。
作品にもよりますが、ある部分リズムは完全に16ビートであり、またリズムの割り方とアプローチが変則的かつ大変複雑で音楽をよりカラフルなものにして聴き手を飽きさせません。大きく連符でとったり、その連符がそのまま拍子主体となるシンメトリカルな方法は、どうみてもフランク・ザッパにしか聴こえない。しかし、ガムランフランク・ザッパをやる!!と想像してみてください。どれだけ凄まじいインパクトがあるか、ということになります。今回演奏した1曲はアメリカの作曲家エヴァン・ジポリのものです。彼は自分の曲を彼らスマラ・ラティに捧げましたが、実際に彼らに教えるために2012年バリを訪れているようです。この作品が最もジャズフュージョンぽく、またザッパらしくもあるわけです。好感を持てるのは、それが付焼き刃なところがなく、数年かけて熟成され完全に彼の手の内に在るというところです。演奏している彼らの表情だけでそれは分かります。楽し気で大らかな気持ちよさが伝わって来ます。

さて、ガムランとは切り離すことの出来ない要素「踊り手」です。このガムランの踊り手というのは本当に魅力的ですよね。個人的に好きなシーンは女性の踊り手が首と腰を優雅に左右に振りながら静々と登場するところです。これはどういったガムランでも共通しており、こうしたところは確かに変えないでいただきたい部分です。
それにしてもこの楽団の創設者であるアノム・プトラさんの踊りは別格で楽しく、凄く、面白く、内容の濃さでは群を抜いておりましたが、僕がそのテクニックで腰を抜かしたのは、後半一人登場した女性の踊り手アユ・スリ・スクマワティさんの踊りです。この方の身体の動きは無論の事、両目の動きが何と、楽団のザッパ16ビートに完全にシンクロ(同期)しているではないですか!!!
人間ってこういうことが出来るものなのか、と本当に驚きましたし、その動作ひとつひとつが音楽と混然一体となることでひとつのイメージを創出している芸術性の高さに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
これまで様々な音楽、パフォーマンス、わけの分からないアートまで見たり聴いたりしてまいりましたが、今回のスマラ・ラティのライブパフォーマンスには心底まいりました。来日したら是非また聴きに行くつもりです。

余談〉バリ島の良いところは歩いているとどこからともなく木琴の音が聴こえることです。これは25年前の方が顕著でした。踊りを習っている女の子の姿も見かけたものですが、今回もホテル内での演奏や、レストランでのパフォーマンス等、上記スマラ・ラティ以外に聴く機会はありました。レストランで聴いた1時間30分程のパフォーマンスはもっとトラッドなもので、これはこれで気持ちよく小学生の踊り手さんがとても可愛らしくしかも十分な力量で素晴らしいと思いました。ただ残念なところも若干ありました。それは楽壇の後方に座っていた一人が演奏中スマホを見ていたことです。自分の演奏が長く休止していることはガムランの場合あります。しかし自分の演奏がなくても、気持ちとしては作品に入っていなければなりません。スマホを見るなど論外です。次にホテルのロビーでソロ演奏していた奏者のやる気のない演奏、リズムの悪さ、途中で投げ出し加減で練習スタンスで割切る態度。最低です!観光客が自分の演奏など聴いていない、ただ通り過ぎて行くだけ、、と思っているなら考え直した方が良い。しっかりと聴いている人は意外に多いし、バリの場合ガムランに接することが目的で滞在している方もおります。ホテル・中庭で演奏していた奏者は一人で三役かい?というくらいに凄かったのに、、この差には驚きました。ガムランは他に類似のない特殊なサウンドから盲目的に素晴らしい、という認識を持たれがちですが、聴き手は変なバイアスをかけないで素直に耳を傾けるべき、と。「何かパッとしないな、下手に感じちゃうな」などと思うのなら、それは駄目なガムランと言うことでOKだと思います。