旧校舎と付け足された新校舎が歪な形を成している。ここは僕が小学校4年生まで通ったK小学校だ。4年生はその新しく追加された棟を使っている。保健室や職員室、また校長室等は正門から向って中央に位置する木造の旧校舎となる。
下校時刻、僕は道路に沿って建つ校舎の2階をジッと見上げている。というか耳を澄ませていると言った方が良いか。
規則正しいマーチングの練習。鼓笛隊に選ばれた精鋭達のバチが太鼓代わりの机上を、子どもらしい遠慮のない様子で打ち鳴らす。
タタタタタンタンタッ|タタタタタンタンタッ|
タタタタタンタン休タ休タ|タタタタタンタンタッ!|
休=休符となる。この場合は八分休符の認識で良かったと思う。
今でも記憶するこのリズム。運動会で使われるためのもの?学芸会のオープニングのためのもの?そこまでの記憶は残っていない。
しかし、自分がどれほどこの鼓笛隊に憧れていたことか、こんな年齢になってもフレーズを憶えている執念深さに笑ってしまう。音楽が根っこから好きであることの小さな証拠でもある。
小4の担任はY先生だ。長身の独身女性で厳しい人だったが、僕はこの人の弾くピアノがそれは好きだった。子ども達が校歌を歌う時は彼女がピアノ伴奏と決まっていたが、イントロくらいなら同じように弾ける。たまに他の先生が弾くとそれはもうガッカリ!ひどいセンスだな、、と残念に感じたものです。
先生の僕に対する口癖は「K君もいつか『エリーゼのために』が弾けるといいね」だった。その滑舌の悪い口調は独特で、たまに今でも前触れもなく脳内に現れることがあります。当時、僕はようやくピアノを習い始めて"バイエルの片手だけ"をやっていた身分でしたから、その言葉は実に遠い世界を感じさせるものでした。
冬になると太平洋側のこの地域でもそこそこ雪が降ります。雪が少しでも積もるとアパートの子ども達は、大体同じ風情の(長靴を輪に通すだけ)スキー板を持って、近所にあるグランドに行きます。ここは新日鉄のラグビー部が使うことでも有名ですが、僕らにとっては普通に遊び場のひとつでした。このグランドを囲む土手が子どもレベルのスキーに調度良かったわけです。入り口付近は土手が途切れており、斜めに滑って来ると途中の段差で更にスリルを味わえるところがポイントでした。あの眩しい雪景色と子ども達の造り上げる世界はワープ出来るなら戻ってみたい場所です。
小4を終えて進級するタイミングで引越となり、この地域とはお別れとなりましたが、帰省時には必ず通る場所です。数年前に列車から見た理髪店には驚きました。記憶にあるイメージ通り、変っていなかったからです。一瞬、本当にタイムスリップしたのか?と思ったくらいです。超速仕事を自慢している厚化粧で少しキレイな女性が、ここの主人公です。お店から帰る時、その襟足が冷たい風に吹かれて「あぁ、そろそろ冬なのかな?」と思う自分でした。昨年、二度帰省した時にはこの理髪店の前にレンタカーを止めて外の空気を吸い込みました。この場所、、お店に向って左手にグランドの土手、この地域を見守るように聳える山々。時間は確かに大きく動いたのに、風景は変らない。その断層の大きさに言葉には出来ないイメージを感じ取りました。彼のモダンホラーの帝王スティーブンキングは「自分がいた過去、その場所に戻っても魔法が起きるわけではない」と作品の中で述べております。が、それには敢えて書かなかった小説家の感じ取った言葉に出来なかった「何か」があったのだと思います。言葉にしてしまうと消え去ってしまうような、言葉にしてしまうと色褪せてしまうような「何か」。
僕にとっては、この地域一帯が音楽の根にあたります。勿論、上京してからの人生の方が圧倒的に長く、また忘れてはならない大切な出来事も数多あります。どうして、そろそろ記憶も薄れかけている6年間に自分が固執するのか?不思議でもあり興味深いところです。
音楽を聴く時の寄り添い方、作曲する時の音の捻り出し方にこの時代に育んだ自分の感性が深く関わっているという気がします。